ちょっとこの漫画の流れを汲んでます

秀秋と関ヶ原に関しては色々見方がありますが、とりあえずこの話ではこんな形で…
秀家のいう御奉行衆は今で言う五大老のことですが、五大老という言葉はよくある江戸期以降に定着したよ!っていうあれで、 当時としては立場によって言葉の使い方に違いがあったようで とりあえず秀家本人も書いてるという御奉行衆という言葉で描かせて頂きました。
五奉行の方は年寄衆だったらしいですね。でも徳川方はそれをよしとしてない。こういうとこにも関ヶ原前の関係の軋轢見えて面白い。
あ、あとお酒がにごり酒じゃなくて割と清酒寄りで描いてるんだけど、清酒大量生産出来るようになるのギリ1600年だからセーフだと思いたい

それにしてもうちの金吾秀家コンプレックスすぎると描いてて思った。
前回の流れを完結させられてないのでまた続くかもしれません…

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